錆澄閑について
金属を素材にものづくりしている工房
錆澄閑
― せいちょうかん ―
さびがしずかにすんでいく様子、情景
何度も何度も
焼いては叩かれて
形を与えられ
磨き出され
そうして完成した金属は
いずれ錆が生まれ
それは時間をかけて全体を浄化し
しずかに澄んでいく
美しいかたちには全てに意味がある
大学時代から彫刻制作で金属に触れ、それ以降は金属で形を作る鍛金の世界に出会い技術を学び、さまざまなものを作ってきました。
私の最も大切な仕事は美しいかたちをつくること。
ものの美の本質はかたちにあると思っています。
そしてそのかたちにはいつも必ず意味があります。
工房にはいくつもの金鎚と木槌があり、その他にも形を作るために必要な道具は自分で作ってきました。
機械も使います。裁断したり、削ったり、溶接したり、磨いたりします。
とりわけ私は一枚の板を焼いては金鎚で叩くという作業を延々と繰り返して作り上げる「絞り」という技法を大切にしています。
千年以上前から行われてきた金属の成形技法です。
この技法で作られたものは表面に金鎚で叩いた鎚目が美しく浮かび上がります。
私の作るものにはこの「絞り」の技法を使って作るものがたくさんあります。
また、鎚で一度も叩かずに機械を使って溶接して磨いて仕上げるものもあります。
用途があればそこには必要なかたちというものがあり、それに合わせた適切なサイズやデザインを考え、作る技法も変えていきます。
全てを金鎚で叩いて作るわけではありません。
ものによっては必要がなければ叩きません。
そのままの方が美しいからです。
何千回も叩くことで見える鎚目は美しい形を作るために必要な工程から生まれた模様であり、装飾のため化粧として作為的に付けた跡ではありません。
必要のない行為、そこに意味のない動作は無駄を生むだけでなく、ものの美しさの本質から離れていくと思います。
金鎚で叩いても、機械を使っても、どちらも私の手が作るものです。
長年培った鍛金の技術は、私のものづくりの背景を裏付ける確かな意味を含んでいます。
1976年 | 岐阜市生まれ |
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2001年 | 広島市立大学 博士前期課程 彫刻専攻修了 |
2001年 | 鍛金家 鬼頭正信氏に師事 |
2002年 | 鍛金家 土屋豊氏に師事 |
2008年 | 長野県伊那市にて独立 |
2011年 | 駒ヶ根に工房拠点を移す |